沿 革
のどかな農村地帯だった当時,江戸時代には現在の港南区の中心あたりに武蔵国と相模国の国境が南北に走りその両側にはいくつもの村が散在していました。
因みに現在の日野・上大岡・笹下・港南台等が武蔵国で,芹が谷・日限・野庭・永谷・下永谷が相模国でした。 そして明治の町村制の施行により永野村・日下村・大岡川村の3村が誕生,これが現在の港南区のルーツと言われています。
上永谷2丁目にある永野小学校は125年の歴史(明治12年4月永谷小学校として新築)
をもった小学校です。校長室には永谷学校の額(勝海舟書)が掲げられています。
昭和30年代の高度経済成長に伴い,この一帯は首都圏の居住・住宅地として人口増の煽りを受け昭和44年に南区から分区独立して港南区が誕生しました。
その後昭和46年に港南区総合庁舎・港南消防署・港南公会堂等が立ち上がり,港南区の基盤が整いました。 昭和47年には市の交通網基盤整備で市営地下鉄 ”横浜―上大岡” 間が開通し,そして昭和51年には上永谷まで延伸して上永谷地区は交通の利便性が大きく向上しました。
更に昭和60年には舞岡を経て戸塚まで延線しました。
そんな変遷を遂げた上永谷地区には魅力スポットがあるので紹介欄を閲覧してください。